
こんにちは!たっくんとヒロチャンです。
今回は、私達が所属している、NPOのまはらという団体の代表をされている高橋周介さんに、お話しをうかがいました!Radiotalkはこちらからお聞きください!
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のまはら(旧奈良県被災者の会) (narahinan.com)
のまはら – 投稿 | Facebook

〖取材〗
高‐‐‐高橋さん、た‐‐‐たっくん、ヒ‐‐‐ヒロチャン

た:今回はですね。私たっくんとヒロチャンが参加させていただいてる、のまはらという団体のですね、代表をされている高橋さんに、お仕事についてインタビューをしていきたいと思っています。高橋さん、よろしくお願い致します。
高:よろしくお願いします。
た:早速なんですけども、高橋さんのお仕事について簡単にご紹介いただいてもよろしいでしょうか。
高:はい。仕事というか活動かな。
た:はい。
高:活動の内容としては、うちとしては、元々が震災支援。東日本大震災の支援団体でした。そこからの今の現状が、のまはらとして活動しています。た:震災支援というのは、具体的にどういった事をされていたんですか。
高:現在も震災支援は継続してやっているんですが、東日本大震災はもう10年。その10年の間に、色々と支援もシフトしていくんですね。最初の頃は、東北からもしくは関東から関西の方に避難された方。ひどい人はほんとに生活する物が自分の手元に一切ない、そういう方がおられたわけですよ。そういう方にはそういう資材とか、家具、什器ですね。ほんとに細かなもの、衣服から、調理をするための調理器具とか、寝るためのお布団とか。最初の支援の1年目から2年目位まではそういうものが多かったです。そこから時間が経つにつれて、ある程度生活が出来るような基盤ができたら今度は、生活の先が不安になります。あとは避難元に残してきた色々な事情、そういったものを解決するための相談。相談窓口としてそういった事が震災から何年か後には増えていくという状況ですね。避難者というのは、てんでバラバラで来て、避難先でコミュニティが無いわけですよ。そういったコミュニティを避難者同士でまずは作っていこうという事で、交流会という形で避難者同士の交流会を始める。それは現在までずっと続けてます。避難者の団体が5年目6年目を経て避難支援そのものが全体的に落ち着いてきたら、今度は地域の避難者支援。地域課題に目を向けていって、そうすると自分達の周りは沢山耕作放棄地だったり、空き家だったり、田舎の方に今拠点を置いてるもんでね、そういった地域課題に何かしら解決する方法がうちの団体でないかなっていう事で、今そういった活動に力を入れているっていう事があります。た:ありがとうございます。どういったきっかけで今まで活動をされているのかっていう事についても、もう少し詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか。
高:そうですね、きっかけというと色々あって。まず、震災支援団体としてどうしてそういう事をし始めたかって事になると、実は私も福島県南相馬市から避難してきた一人なんですね。震災支援団体になる前は、そういった避難者同士が集まる互助会だった。互助会で、みんなで何とか寄り集まって生活の基盤をしっかり構築して、ここで生活がちゃんと出来るようにしていこうねっていう会だったんですね。そこから先程言った通り、震災支援団体として少し規模が大きくなりまして。最終的に震災支援団体から5年後位かな、そこから震災支援がある一定の落ち着きをみせたっていう事で、今度は地域支援の方に活動が広がっていったという事になります。
た:今までそういう活動をされてきて、何か大変だった事とか、逆に楽しかった事とか、そういった事はありますか。
高:やっぱり、活動をするにあたって大変な事は沢山あるんだけども。ただ、望んでずっとやってきた事だから、大変ではありますけども、楽しかったのかなっていう風には振り返って思いますね。楽しいからこそ、今までやれてこれてるのかなっていう風に思ってます。楽しさっていうと、ちょっと不謹慎ですけどね、うちら震災支援だったり地域支援なんですけど。楽しさというよりは、やりがいですね。やりがいがあるからこそ、現在までやれたのかなと思っています。
た:人と人との関わりっていうのが、かなり大きなキーワードになってくるんですかね。
高:そこがまさに、キーワードというかね、大事なところかなと思いますけどもね。
た:ヒロチャンからは何かきいてみたい事はありますか。
ヒ:避難される前、互助団体を作ろうと動かれたのは、そこまでにどういう知識があったのか、もしくはゼロスタートなのか、っていうのは知りたいですね。どうでしょうか。
高:互助会を作ったのは、必要に迫られてっていうのがあるのかな。まず、私達を支えてくれた団体があるんだよね。互助会を作る前に奈良の市民の方々が、震災で避難してきた方々を支えようという団体が、奈良市でできたんだよね。それが奈良災害支援ネットっていう団体だったんだけども、そこのボランティアさん達が私達のような避難者を支えてくれたんです。ただ、それは地域の避難者支援組織であって、当事者ではなかったんですよね。だけど、奈良県においても当時で150名近くの避難者さんがいて、その方々のやはり当事者による会が必要だよねっていう声があがって、たまたま震災当事者でありながら支援にも関わってた私が代表として互助会を立てたっていう経緯があります。それが当時、私達の互助会奈良県被災者の会の始まりです。
ヒ:互助会を立てたっていう、市の支援団体でも支援者側にまわっていたっていうのが、互助会を作るきっかけになったという事ですか。
高:市民組織なんだよね。市民団体の奈良災害支援ネット。震災支援組織だよね。そこで支えてもらっていたのが、私達避難者当事者の人達。ただ、市民ボランティアだけじゃなくて、当事者の会もそこで必要だよねっていう話しがそこであがってね。その当時私は避難者であったけども、災害支援ネットに関わって、避難者さんと支援者さんとの懸け橋みたいな支援を一緒にやってたんだよね。たまたまそういった事もあったんで、当時私が支援してもらってた災害支援ネットの中で、のれんをわけるような形で、奈良県被災者の会っていう当事者の会を立ち上げたっていう事です。
ヒ:支援団体として、支援する側に、互助会を作ろうっていう側にまわられたのが、すごく重要な行動かなっていう風に思われたので、こんな風な質問をさせていただきました。避難される前までの経験ていうのは、以前おじゃました時にはある程度の料理のスキルがあるからっていうのは、お話しされてましたけども。何かこれまでやってきた事がつながってる部分はあるんですかね。
高:これまでやってきた事って事は、福島県でしてきた事っていう事ですかね。
ヒ:そうですね。福島県ですね。
高:福島県では宿泊業をずっとしてきたんですけどね。そこで役立ったっていう事になると、組織運営の仕方っていうのは役に立ったのかなあと思ってて。組織の責任者として、組織の運営をしていければいいかっていうのは、未経験ながらもそれなりにボランティア団体として、支援団体として、それなりにやれてきたかなあ現在までっていう風には思っています。
(Radiotalkでは第1部と第2部の切れ目ですが、割愛します。)
ヒ:団体をまわしていくにあたって、特に言ってしまうと金銭面で、特にNPOをやってみたいという風に自分自身も思っているところがあるので、可能な範囲でまわし方っていうのをお伺いできたらと思っています。
高:たぶんね、日本中もしかしたら世界中のNPO団体が一番そこに悩んでると思う。いかに運営資金というのを、ちゃんと自分のやりたいだけの資金を得るかっていうのは、もう命題に近いかなNPOの世界では。中々そこが叶わないっていう状況があって。ずっとそこを悩みながらNPO組織を運営してるっていうのがたぶん、今の現状なのかな。そこから、自分に照らし合わせて、現状どういう風にして活動しているかっていう事をお話しさせてもらうと。まず団体が立ち上がって初期の頃っていうのは。以前私は福島の時は旅館業をしていた。そこで料理人もしてたんですね。カッコいい言い方するとオーナーシェフなんていう言葉なんだけど。カッコわるい言い方をすると、料理人を雇うだけのお金がなかったという話しなんですけど。そういった経験もあったものだから、とりあえず各イベント、各地域地域のイベントで、東北なんでね、東北の有名だときたかたラーメンていうラーメンがあって。そういったラーメンを各イベントで提供する。そこで資金を得ようかっていう事を最初はやってました。でも、それでも微々たるものなんだよね。あとはNPOとか非営利組織では、大きな資金を得る方法として、補助金、助成金を得るっていうやり方がある。そういった事で、そこから運営資金を得るという事もやりました。ただ、結構中々経験の必要なんだよ、助成金の申請とか何かってね。最初はものすごく大変だったです。団体も1年目2年目の時は、歴史がないからね、実績もないんで、助成金も中々得にくいって時もあった。そういった中で、細々と最初はやっていて、現在はもう10年目になる。そうなると経験もできてきましたし、助成金の申請の仕方もある程度分かってきたかっていう事で、現在はうちの方では大体半分位が助成金に頼ってる。NPO組織として。もう半分は自己資金。自己運営のところで賄っているっていう状況があります。うちは今農園として動いてるんで、農園で得た耕作物から販売する事によって、それを資金運営にしているっていうところかな。NPOとしては、自己資金を得るという事は実は中々大変で、ほとんどの場合は私の知る限りは補助金に頼って運営してる。もしくは、そこの理事長さんとか、役員さんの自前、自腹によって運営されているっていうのが現実じゃないかなって思ってます。
ヒ:実際私達も活動に参加している中で、野菜、特に黒豆を売るっていう話しを今日もされていて、それが助成金5割残り5割の内のほんの一部になるんですよね。
高:そうですね。
ヒ:という実情を知る事が出来て、個人的にはすごくありがたかった。ありがとうございます。たっくんからは。
た:私が高橋さんの話をずっと聞いてて思ったのは、これまでずっと福島で宿泊業をされていて、料理もされていたと。震災がきっかけで、今のお仕事をされているわけなんですけども。これまでの宿泊とか料理に関する技術を使って、どこか宿泊のところとか料理界に勤めたりとか、そういった事は選択肢として震災当時はなかったというか、どうして今のお仕事を選ばれたのかっていうのが、とても気になります。
高:勤めるという選択肢は充分にあったと思います。ただ、当時を振り返ると、結果的に今そういう風になったとしか言いようがなくて。あの時、さっき言った通り災害支援ネットというボランティア団体から、当事者の団体を立ち上げてくれ、立ち上げたら、立ち上げた方が良いよねという事になって、自分が代表で活動する事が始まり。そこから、その団体運営というのをする。そこでどういう風にやっていこうかっていうと、ずっと悩みながらやってきたんだけどね。もう一回そうやってまわしてしまうと、勤める暇がなかったね。いかに要はそのところと、今振り返ると自分自身のプライベートな生活と、避難者支援どういう風に両立していったらいいかなとずっと悩み続けてきたんだよね。それが今ある意味形になったのかなと思うのが、こののまはらで、私自身の生活と、そして避難者支援と地域支援。これらを分ける事は出来ないから、全部一括りに一まとめで運営してみようかというのが、この今ののまはらかな。
た:ありがとうございます。そのNPOのまはらについてもお話しを伺いたいんですけども。のまはら自体の活動に関して、簡単にご紹介いただいてもよろしいですか。
高:はい。のまはらは奈良県被災者の会から引き継いでる震災支援、東日本大震災の震災支援を継続して行っているという事と、私達は当事者であってそして災害の苦労大変さを身に染みているんで、同じその災害があった時に支援出来るような体制を整えていこうっていうのが一つの目標で、年に数回の訓練とか、そういった事をしているという事。あともう一つは、地域支援として、田舎の方に拠点があるものですから、耕作放棄地だったり空き家だったり、そうしたものを利活用して、新たなビジネスモデルみたいなものを一つ構築出来たらいいな。田舎の中でもどんどん過疎化されている中でも、若い人達がそこで生活が出来るようなモデルが構築出来ればいいなと思って活動しています。
た:ありがとうございます。私やヒロチャンも参加させていただく中で、農業っていうのが結構やらせていただいているんですけども、そこについてもお話しいただけますか。
高:はい。農業について。どの辺の農業なのかな。
た:普段どういった活動をされているのかとか。
高:普段どういった。農業についてかな。
た:そうですね。のまはらでされてる農業が、どういう事なのか。
ヒ:販売とかまで。もう広くなのか。
高:農業も幅が広いもんだからね。
た:そうですね。色々な作物を育てられてますよね。
高:そうですね。現状、20種類以上を育てているんで。NPOではあるけども、実質農家として動いてるところはありますよね。だからもう、シーズン中は、基本的に農家と同じ事をしてるかな。
た:結構幅広い年代の方が来られていますよね。のまはらにね。
高:そうですね。それこそ、君達のような若い世代から、70代位の方まで来られてます。
た:すごいネットワークが構築されてるなって思いますね。では、最後にですね、中高生をはじめとした若者へ、何かメッセージをいただいてもよろしいでしょうか。
高:荷が重いな。荷が重いけど、そうですね。好きな事を私はずっとしてきて、やりたい事をやってきて、現在私はまだちゃんと生活が出来てるのかな。自分自身がやりたい事を反対されても、ほんとにやりたいんだったらやり通せばいいんじゃないかって思いますけどね。私はそういう風にしてきました。
た:分かりました。この活動は主に、奈良県の都祁っていうところでやられているんですね。
高:そうですね。支援そのものは関西全域ですけどね。活動そのものは奈良市内でやってます。
た:分かりました。みなさんもよかったら、ホームページ等見ていただければなと思います。では、本日の取材はこれで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
高‐ヒ:ありがとうございました。

〖たっくんの感想〗
私とヒロチャンは、学内のWEBサイトに掲載されていた募集を見てのまはらを知り、応募した事で高橋さんに会いました。
私は月に1-2回程都祁に行って、主に農業に関する事(オクラの収穫や草刈り機の使用、耕作物の袋詰め、ネット張り等)をさせてもらっています。また、マルシェ出店や川や田んぼの生き物調査も行いました。自分の学校では体験出来ないような事ばかりで、とても楽しく学んでいます。
高橋さんには、これまでも何度か経歴をお聞きしてきましたが、改めて聞くと苦難を乗り越えて来られた方なんだなあと感じました。
東日本大震災の被災者の方が関西に避難されてきたという事は、なんとなくイメージ出来るのですが、当事者が被災者を支援するというのは、少し驚きです。ただ、それも始めからではなく、奈良県の市民の方による支援団体があって、そこから分かれたという経緯を、今回の取材で理解する事が出来ました。人は今ある状態だけを見て判断しがちです。私にとって、のまはらは農業のイメージがとても強いですが、被災者支援についても関心を持ったため、そちらの活動もしてみたいと思いました。
また、被災者支援というと、どうしても“可哀想”“気の毒”といったマイナスな言葉が浮かびがちですが、高橋さんの言葉からは、大変な事も多かったけれど前を向いて進んでいこうという思いを感じました。
ありがとうございました!!〖ヒロチャンの感想〗
ヒロチャンです。
久しぶりの来訪にも暖かく出迎えていただき、中々おぼつかないながらも取材を受けてくださった高橋さんには、まずただただ感謝です。
お話を聞いていて、NPOの場合、経営者がどういう立ち回りをしているのか、という点に近づけたのはいい経験でしたし、のまはらの活動自体も一歩深く知ることになったので、満足のいくインタビューでした。
高橋さん、ありがとうございました。
